居合の要は足元にあり。見えない部分に宿る力と〈体の使い方〉
「後ろ足」
単純には、うしろの 足・脚 そのものを指しますが、居合においては足指、湧泉(ゆうせん:足裏のツボ)、ふくらはぎ、ひかがみ(膕:膝の裏)など、あらゆる部位をひっくるめた重要な土台となります。
とくに、この「後ろ足」こそが、刀の切りに強さを生む“おおもと”なのです。
画像をご覧いただくと、力(決して無駄な力みではありません)が深くこもっているのが伝わるでしょうか。
刀に力を伝える「足の線」
よく言われるのが、「カカトを外に蹴りだすように道場床の板目に沿い、足の外側の線がまっすぐになっている」こと。特に後ろ足ではここが肝要です(前足は内側の線が板目に沿います)。
これが疎かでは、剣に力が伝わりません。ボクサーや空手選手のパンチ・正拳突きを想像していただくと、わかりやすいかもしれません。
後ろ足の踵が内側に入り、つま先が外に向く「撞木(しゅもく)足」になってしまうと、敵に向かう力が刀に乗らない感覚に陥ります。
言うは易く行うは難し、なところですが、会員たちは皆そこを心して日々の稽古に励んでいます。そういった視点であらためて足元の画像をご覧ください。
身体との対話で見つける〈体の使い方〉
当然ながら、意識を向けるのは足だけにとどまりません。ほかの四肢、腰、腹、さらには肘、肩甲骨から手首、指に至るまで……とてもここには収まりきりません。
居合修行の課程では、自分の身体のそこかしこに意識を巡らせます。足先のわずかな角度や重心の置き方など、微細な身体動作の変化が全体の動きに直結していくため、常に己の体と静かに対話を続けることになります。
少ししかつめらしいことを言うようですが、ひとくちに言えば〈体の使い方〉。それを単に意識するだけでなく、結果として常に考えながら動くのが「居合道」という武道だと思っています。
(どんな運動やスポーツ、あるいはゲームだってそうだろう、と言われるかもしれませんが。)
いにしえを稽える(かんがえる)
古(いにしえ)の人々は、現代のように人の代わりになんでも自動でこなしてくれる便利な機械を持っていませんでした。ひたすら自らの体を運び、動かし、使って、仕事も遊びも何もかもこなしていました。
私たちが今習っている武道は、そんな時代から人々が連綿と伝えてきたものが元になっています。今日も稽古場で、古人(いにしえびと)と同じようにその身体の動きを「なぞって」いるわけです。
そう考えると、もっと自分の身体のことに目を向け、使い方を稽える(かんがえる)ことは、ごく自然なことだと思えてきます。以前触れた「稽古=いにしえをかんがえる」という言葉が、いよいよ深く意味のあるものになってこないでしょうか。
理屈はともかく、日頃現代人が忘れがちな「こったらこと(このような身体の感覚)」を、稽古場で一緒に考えてみませんか?
日本の心、そして刀(居合刀)を、ぜひ一度手にしてみてください。






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